わが国では、うなぎの歴史の古くは縄文遺跡からの出土例もあり、
奈良時代から滋養強壮食品として食されていたことも知られて
います。
奈良期の「万葉集」巻十六の大伴家持は、
「石麻呂(いそまろ)にわれ物申す夏痩せに
よしといふものぞ牟奈岐(むなぎ)取り召せ」と詠んでいます。
吉田連石麻呂(よしだのむらじいそまろ)は痩せ細った人で、
かば焼きの調理法などのない時代だったので、薬として用いた
と思われます。
西洋では「旧約聖書」に、うなぎは鱗のない魚(鱗は皮下に隠れて
いる)だから、食べないようにとのモーセの教えがあります。
ちなみに、うなぎは胸黄(むなぎ)が訛ったものだといわれて
います(泥沼に棲息すると、うなぎの腹は黄色くなってくる)。
土用の丑(うし)の日に食べる習慣は、江戸時代中期の文政年間
(1898〜1829年)に、神田和泉橋の春木屋善兵衛といううなぎ屋
が、江戸詰めの藤堂藩邸に納めるかば焼きを、丑の日から3日間
焼き続けて、それぞれのカメに保存したところ、最初の丑の日の
ものが、色艶・香味・風味が最もよかったからという説、
平賀源内・太田南畝が、夏バテ防止に宣伝したからという説、
があります。
<「日本の味 探究事典」「図説江戸時代食生活事典」より> |